2011年来る、そして。

2011年、新年来たりて過ぎ去りし日々のことを思い返してみると
こう、1年ずつ加速度を増して「あっ」という間に経ってしまうのは歳のせいでしょうか?
と、書くとまだまだ元気な上の世代のみなさまに怒られそうですが。
私は、年末に40歳の誕生日を迎えたのですが
新成人のことをとりあげる際にいわれるところの
日本経済の「失われた20年」、
怒涛の社会に出て、社会に育ててもらって過ごしてきたんだなと思うと
なんというか、この表現は寂しすぎる。
だって、個人的には得るものが多かった貴重な20年間だったから。

確かに日本経済はこの20年かけて低迷していく一方だったかもしれないけど
この仕事でフリーランスで活動するようになってから10年、
いわば、世の中を積極的に知ろうと能動的に動きまわって10年、
必然や偶然として出会った人の中には確実に経済を活性化された方もいました。
(それもひとりふたりではない)
まさにその姿はアメリカンドリームのような成功っぷりでいて
その方たちに共通するのは
「有限実行、ピーンときたらすぐに手をつける」というもの。
それは、傍から見て無謀とも思えるような挑戦を
躊躇せず、泣き言も言わず、ひたすら自分を信じて邁進していくわけです。
完璧に人間として自立している、というところも共通していますね。
マイナスの立場を方向転換してプラスの力に変えていくアイデアと実行力があること。
あと、ビジネス的にマイナスと思える要素をばっさり切り捨てるということができるのも
非情のようにみえて、成功する人には
必要な資質であることも確かだなあと傍観してきた次第であります。
まあ、そういったぐんぐん前進していく人たちは
人間として深みがあるのかは別として、光っているのでとても魅力的ではあります。

そういった他人様の生き様を聞いて書かせていただくというのはとても面白いものです。
いろんな人が過去を持って未来に生きている…
指針やビジョンがあればあるほど、その背景には面白いエピソードが隠れているものです。
だから非情のライセンスもその背景や理由を知ることでなるほど、と受け入れることができるわけです。

このころは、歳を重ねてなお光り輝いている人に会うと
「おおお、美味しいそう」だな、何かいっぱいありそうだなと話を聞くべく食いついてしまいます。
先日は、図書館で出会ったトーマスクック(欧州の鉄道時刻表)を虫眼鏡で穴が開くぐらい
眺めていた80オーバーのおじいちゃんに出会い、旅の計画を聞くと
バックパッカーの若者も顔負けの自由な移動っぷり。
黒トリュフを食べに行くことを目標に、パリー日本往復の格安航空券だけで
電車やバスを使ってスペイン、イタリアも回るそう。
そんな人はどんな20年、いや40年を過ごしてきてそんなに軽やかになってのでしょうか。

笑い皺の裏にある壮絶エピソードからの脱皮なんて大好物。
だからといって私が壮絶エピソードに出会っても
その人の話を見習って立ち直れるかどうかは別として
人の数だけドラマがある、笑いの裏には悲しみもあり、
そんな年齢を重ねるがゆえの言い訳の聞かないストーリーというのが確実にあるのです。

失われた20年が終わってまた新しい20年が始まる。
この20年が終わったら60歳。
年金が出ないことに嘆き悲しんでいるよーな社会はいやだわん。
昨日、朝のニュース番組で作家の落合恵子さんが
「こんな社会にしたのは私たちだから今の若い世代に申し訳ない」
というようなことを言っていたけど、今後、我らの年代も含めて逃げきり世代はないな…。
確実に割りを食う人たちばかりのなか、狭い国土のなかでどうやって仲良く?分配していくかってことを考えると
今後の旅先も、旅の内容も確実に変わってくるのでありました。

ニュージーランドで泊まったアコモで掲げられていた日の丸。ここ10年の間に日本ファンの外国人が増えたお陰で旅がしやすくなりましたね。

そういう意味も含めて、積極的に「外に」出て見聞を広める&出ないで内省する期間をもたないと
狭い視点でものごとを考えるようになってしまうと危機感を持っている私。
外から入れるものもあれば内から外に出すもののあり。
(例えば、これまで舶来品で好きだったものを、代替がきくものであれば少々高くとも国産品に変え、
よかったらそれを積極的に海外に紹介するとかね)
その循環でサステナブルな経済社会になればいいのだけどー。
失われた20年を過ぎて循環のいい20年になるようビジョンを持って歩いていきたいな。

年頭の挨拶はここまでとして
次からはちょっと軽めのブログにしよう。
twitterの更新があまりにも気軽すぎてブログの更新が怠りがちになってしまいますね(苦笑)。
あ、言い訳しちゃった…!