311のあと、そしてとちゅう。

このところ、少々引きこもり気味だったせいか
ずいぶんぽっちゃりとしてしまった。
そんな様子なものだから、最近は体に加え心も重くなってしまわないように海岸を走っている。
(だんぜん摂取カロリーのほうが多いのだが、
健康で食欲があるのはいいことなのでまあよしとする)

今まで足元にしっかりあると思っていたものが
いかに脆弱なものだったか思い知らされていった日々。
旅、とくに一人旅なんていうのは、道中、誰にも依存できないことが前提で
繰り返し現れる分かれ道を自己責任を前提に選択しなくてはいけない場面に多く出くわす。
そして今、東日本では外に出たくない人も否がおうに土地を放り出され
いかなるときも自己判断で動かなければいけない状態にある。

ある人は関東を離れ、原発の影響のない場所へ行き、
ある人はどのようなことが起ころうとも、土地を離れない。
ある人は困っている人を助けようと危険な場所に赴く。
どれも自己責任による自己判断の行為だが、
何よりも土地に根付き、地道に農業や商いを行ってきた人たちが
築き上げたものを放って出ていかなければならないというのは酷な話だ。

気の毒なのは様子をうかがいながら、心も体もどこへも行けないことで、
そういった方のストレスを察するとどうにもこうにも胸が痛む。
せめて心だけでも安らぎの場所があるよう、祈るしかない。

そういば、スウェーデンのマッサージ学校を取材したときに知ったのだが
いまやスパやサロンでおなじみのスウェディッシュマッサージは
1800年代初頭、ロシアとの戦争に敗れ、
国全体が意気消沈していたときに国王が奨励して国民すべてを健康に導くものとして
人と人とが手によってエネルギーの交流をはかるマッサージを考案されたもの。
肌と肌が触れ合うこと愛情ホルモン、オキシトシンが多く分泌されるのだとか。
こんなときこそ、レクリエーションを通して
ハグ(抱擁)は無理だとしても握手、体をさすりあうことを
恥ずかしがらずにしてみるのもいいんじゃないだろうか。
昔流行ったV6の「WAになって踊ろう」なんて大人も子供も踊れていいかも。
書くのはたやすいが残念ながら私は踊りの見本が見せられない(苦笑)。
だれか体操の先生やレクリエーションリーダーみたいな人が
このブログを読んでくれてたらいいのだけど。
もしくは他に誰かが気づいて始めていたらいいな。

さてさて、これからはいつでもどこにでも自分の思うように動けるよう、
もしくは踏ん張っていけるよう、体力、自己判断力をつけていこう!
そうすれば自然と体力のあるもの同士が集まって、
足りないところへとパワーを補填することもできるはずだから。

そうそう、4月にはこんなパワーあふれるトルコの女性たちの炊き出しに参加。
このイベントに参加したことで余震があるたびに
びくびくしていた恐怖心が少しだけ払しょくされた気がする。
誘ってくれたトルコ航空PRのプラネットコミュニケーションの伊藤万里夫さん、ありがとう!

トルコ婦人協会連盟の炊き出しはチキンケバブ530食!

4月17日(土)、トルコ婦人協会連盟の炊き出しを手伝いに宮城県岩沼市へ。
ちなみに、宮城県岩沼市はこのあたり
直前に3月に岩手で支援活動を行っていたフォトグラファー谷口京くんにも声をかけ
原宿のトルコ大使館前から宮城県岩沼市まで片道約8時間のドライブ。
東北道は物資や仮設住宅を運ぶトラック、ボランティアのワゴンなどで混み合っていた。
往路、郡山周辺は渋滞。復路もちょっぴり渋滞。
運転に慣れていない人が物資を運ぶために大きな車を運転していたり
被災者の親戚などが遠方から車でかけつけたりしているため
不注意や疲れによる事故も増えているそうだ。
これから車で被災地に赴く人は注意してほしい。

うわ~美味しそう!肉だ、肉だ~

炊き出しが入るまで自衛隊の炊き出しで1日3回ご飯とお味噌汁で生活していたみなさん。
いくら辛抱強い東北人といっても、バラエティのある食事をしたいはず。
そんな折にトルコ婦人協会連盟のチキンケバブと紅茶またはジュース、バナナのサービスは嬉しかったに違いない。
実際に避難所の人たちと話して、みなさんは口を揃えて自衛隊に感謝をしていたけれど
「肉や野菜を食べたかった」「パスタが食べたい」「コーヒーを飲みたい」ポロリと本音も聞いた。
食べたいものをイメージできるのに食べられないのは、寂しいよ、確かに。
せめて、さまざまなところからやってくる炊き出しのバリエーションを楽しんでもらえますように。

それにしても放射能の影響もあり、外国人が次々と日本を出国するなか、
トルコ婦人協会連盟会長のギムシャイさんは「子供たちにいっぱい食べてもらうのよ」と
カンパを募り、チキンケバブ80キロ×2本やキャベツ、きゅうり、ソース、
それらを包むピタパンなどを用意し、余震も続くなか
金曜夜出発土曜夜着の日帰り弾丸ツアーを行ったのには日本人として頭が下がる。
現地では炊き出しのほか、子供たちとAKBの歌を歌ったり、高校生たちと写真を撮ったり・・・
私は、ちょうど震災が起こったときトルコの家庭にホームスティしていたのだが、
トルコのアンネ(お母さん)はパワフルな母性にあふれている。
ギムシャイさんの姿に帰国時、不安がる私をぎゅっと抱きしめてくれたトルコのアンネの姿を重ねてしまう。
トルコも地震が多い国だからね、助け合いましょう、と。
そういうと、ニュージーランドの人たちもそういってくれているなあ。
Kia Kaha運動なんていうのも始まっている。
痛みを知っている国の人だからこその優しさをじんわり感じる。
きっと東北の人たちはしっかりと受け取っていたに違いない。

ニュースでは信じられないような情報が流れているときもあるけれど、
世の中は一個人が拾う小さな視野だけで決まっているほど単純ではなく、
多面的に進んでいる出来事のひとつひとつを救い上げては
ほっと気持ちが安らいだりするのだった。

おまけ

手作り布ナプキンと花の種のサンプルを被災地に送りました。
こちらに関しては、さまざまな方にご協力をいただいているので
改めてご報告を。