私がトラベルライターになった理由。

2012年に入って最初の取材は南インド。

「どういった経緯でトラベルライターになられたのですか?」という
Twitterメッセージがたまにやりとりをしているフォロワーの方から届いた。

これまでも何度かトラベルライター志望の方に
ブログ経由で質問されていたのもあり、
どこの会社にも属さない完全なるフリーランス稼業になって
10年を迎えるこのあたりでちょっと整理しておこうと思う。

自著を出版しているわけでもないし
ライターとしてたいして大成もしてないので、
こういう経緯を書くのもおこがましいし
トラベルライターを目指す方には
まったく参考にもならないかもしれないけど
そのまんまを書いておくことにする。

まず、トラベルライターという肩書きを使い始めたのは
調べてみたら2004年からだった。
当時関わっていた「TOKYO WALKER EXCLUSIVE」という不定期刊の雑誌で
旅のコラムをまかされたときに肩書きが必要になったのがきっかけで
編集長が勧めてくれたものだった。

そのとき、2番目に働いていた出版社を辞め、フリーランスになって2年が過ぎていた。
書籍の企画が通ってフリーの書籍編集者になってからというもの
アートや旅、美容、料理などやわらかい分野に関しては
なんでもかんでも「ハイ」と手を挙げて積極的に関わっていたので
今後の方向性を決めるのにトラベルライターと名刺に入れることを
覚悟したのはちょうどいいタイミングだったと思う。

突然の海外取材にも対応できるようにと
それまで携ってきたレギュラーの誌面を辞めて
旅モノや異文化に関係するものだけに絞って仕事をしていった。
なので、正確にいえばトラベルライターを目指してなったわけでなく
振り返ってみるとトラベル関係の記事に携わってきたことが多かったので
トラベルライターと名乗ってみた、というのが実際のところなのである。

それからはトラベルのカテゴリーに入るものなら
スパからレストラングルメ、人物取材、
はてまた空港まで背景の物語を書くものであれば
なんでも ござれ、といったところだったのだが、
2005年にニュージーランドのエコツーリズムや地域再生、
グリーングローブ認証の取材をしたのをきっかけに
ゆるやかにナチュラル系の旅にシフト。
街のなりたち、地域観光、宗教、風土などをベースに取材をしまわり、
最近はどちらかといえば取材というよりも
イチ観光者として「地球を体験する観光」を楽しみ、
国内外問わず、自分なりに光が観えたものを
エピソードを交えてつらつらと書かせていただいている。

目がびっくり寄ってて怖いけど、こんな顔で話を聞いているらしい。エルサレムにて。

学生時代にジャーナリズムや文学、民俗学を志したり、学んだわけでもなく、
さらにはサブカルチャーや社会に対する特別な思いや関心もなかったので
旅先で出会うものひとつひとつが目新しく、
そしてひとつ学ぶたびに点と点のつながるポイントが増えて旅の楽しさを知っていった。
いわば旅取材は私の教科書みたいなもので、内容が多岐にわたりすぎるため、
浅すぎる私の見識や文章力ではこの頃は書くのがしんどくなってきたのだけど
物事のつながりを発見して理解し、自分なりに編んでいくこの仕事は
どんなにきつくても辞める気にはならず、今に続いている。

好奇心の旺盛さと、人間が未熟ゆえにいろんな経験をしてみたい、
そんな想いだけで続いているといえばそんな気もする。
それと同時に、狭い世界で物事を見たり判断していたことや
どこかに属することで植えつけられる「こういうものだ」という定まった考えに疑問を持ち、
少し目線を外してみることの面白さを知り、
それを誰かとシェアするのが楽しいのも続けている理由のひとつ。

物事の仕組みを知っていくことでゲンナリすることも多々あるけど
ちょっと外を歩いて振り返って内側を眺めてみると
そう捨てたもんじゃないなと思うところも見えたりして
まあ、そんな視点が生まれやすいのも
心が開いている「旅」の途中だったり、日常に戻ってからだったりもする。

そんなことを取材の目的としたりしなかったりとしながらも
旅の中でリアルに体感してきたので
私の文章は文字数長めのものに関しては
自我満載のワタシ成長旅物語が多いと思う。

もし、この混沌とした時代に、旅などといっていられず
このまま稼げなくなって違う仕事に就いたとしても
心の旅なり物見遊山旅行なり、旅について書いている限りはトラベルライター。

旅の出会い―目と目があえば、そこに物語が生まれる。

そう、会社はいろいろ辞めたけど、
トラベルライターには永久就職したな、と実感する。

私はトラベルライターを始めたころは
まったく英語が話せず、今もヘタなのは周知の事実。
「英語の話せないトラベルライターなんてやめたほうがいい」
ととある旅雑誌の編集長から言われたこともあるくらい。
「英語が話せない視点がいいんだよ」
と、これまた別の旅雑誌の編集長から言われたこともあり、
なんだかもう、自分から放たれたものに関して
他人の感じ方はお任せなのもこの職業の
厳しさでもあり救いがあるところでもあるのだなと思った。

ちなみに出版関係の仕事に就いたのは20代後半。
その前は勤めていた役所を寿退職して
駐在員夫人としてタイに住み、
にわかセレブ生活をのほほんとエンジョイしていた。

あまりののほほんぶりに頭がぼんやりしてきたので不安に思い、
バンコク情報を日本人観光客向けに書く仕事を始めたのがトラベルライティングの始まり。
以降は帰国して紆余曲折しながら導かれるように出版社へ。

そのうち、面白いと思った旅の出来事を熱っぽく話しているうちに
他社の書籍の企画として通ったために
フリーランスの書籍編集&ライターとして独立。

理由になってはいないかもしれないが、
経緯としてはざっとこんなものである。

先のことを考えすぎず、そのときに開かれた道に進む。
もちろんベースにその人の適性ありきで
進む方向が変わってくるのだと思う。

ちなみに、結婚には適性がなかったようで
タイから帰国後に夫とミレニアム離婚をした。
その後、結婚を考える間もなくぎゅっと詰まった10年を過ごし
今に至っていて、楽しそうなもののひとり占めはないんだなあ~と悟った次第。

だんなさんと子どものいる人生を選んでいたら、それはそれで
1日1日をぐるぐるめくるめく旅をしながら
別の活動エリアでトラベルライターを
していたような気もするこの頃なのであります。