馨しき香り、ひときわ、チューリップのドライフラワー。
たまたま車を停めた高岡のハーブガーデンで出会ったもの。
今の季節、富山県にある砺波の散居村の風景は
菜の花やチューリップなどの花の色で彩られています。
ささやかに華やかな道端は、田んぼに水がはられてゆき、
夕暮れどきは空を映す鏡のようでありました。
美しい季節に呼んでくれた亡き祖母に感謝。
それはそうと、こちらのほうは葬儀後に
毎日お寺さんが読経にいらっしゃるものとは知りませんでした。
1回にお渡しするものとされている金額とお寺さんの移動費を考えると
割にあわないんじゃないかと思うけど、お金で換算するものではないんだろうな。
そういう意味ではこのドライフラワーも、
お金で換算できないほどの時間や労力がかかっています。
「日本酒ブーム、これまでのお客様を大事にするにはどうしたらいいと思う?」
立ち寄った高岡の蔵元に投げかけられ、言葉を詰まらせてしまいました。
会社も業界も何も背負わない立場で「何か」を見続けている
フリーな取材者にしか見えないもの、
それを教えてほしいと言われたとき、どう答えるか。
改めて取材として対面しないときのほうが、
取材をしているのだと思えることが体感的に増えてきました。
作りたいと思う本を、出版社も決めずにスタートさせました。
クラウドファウンディングという形をとれば
すでに応援している人たちの力できるのかもしれませんが、
出版社にもリスクをとって商いにしてもらわないと
出版社そのものの存在意義や価値がなくなってしまいます。
だから、扱ってほしいところへ営業へ回ります。
また、多くの書籍を生み出している
編集者の客観的な目も必要としています。
できてしまえば1冊の本なのでしょうが、
今ここにある現象を残すものとして
ささやかに家の本棚に何十年も
存在できるようなものを作れたらいいな。
そういう意味ではこれまで企画して出版された書籍は、
お金で換算できないものばかりでした。
スタッフには迷惑をかけましたが、お金で換算できないものしか、もはや自分の記憶に残っていません。
お金で換算できるもので生活を成り立たせながら、
お金で換算できないものに労力を費やしていくー。
そしてだんだんと双方が交わっていき
自分以外の人にも価値を感じてもらえるようになったら、
そこで初めて成果物と暮らしや人生そのものがリンクした
”なりわい”とやらになるのでしょう。
チューリップのドライフラワーをつくっている人は、
植物と生きることをなりわいにしていました。
「私、ハーブに関わってから初めて自分になった気がしたの」。
還暦を超えているとは思えない溌剌さに、
人はいつでも生まれ変われると思ったのでありました。