冬極れり、春に向かう。


年の暮れはてて、人毎に急ぎあへる頃ぞ、またなくあはれなる

徒然草 第十九段「折節の移り変るこそ」

“人の誰も彼もがみんな忙しがっているころこそ、比類なくしみじみと感じ深いものである”(松尾聡 徒然草全釈 清水書院)

春からのコロナ禍で日々の記録を当初「自粛徒然草」としてInstagramに綴っていたが、緊急事態宣言が解除されてからはゆるくアップするくらいにしていた。1年近い、大勢の人との交流をなるだけ避ける隠遁生活の日々はまさに吉田兼好のごとく。身近な四季の移ろいや社会情勢に敏感になりながら眺めるとき、もう一度読み返してみる『徒然草』は心の行くべき方向を定めてくれるバイブルのようだ。約690年の時を経てもなお生き生きと語りかけてくるような先達の文章を読んでは日々、感じ入る1年だった。

さて、2020年12月21日(月)に冬至を迎え、現在は冬のど真ん中に至る。
冬至から本日12月22日(火)にかけて木星と土星が重なるグレート・コンジャンクションなる天体イベントがあったのだが、ここ数日、SNSのタイムラインはその話題で賑わっていた。
天体イベントが繰り広げられているとき、たまたま自分は空を見上げて写真を撮っていたようだが、さっぱりそんなことに気づいていなかった。残念。

ぽっかり無心になって、ただただ大空を眺めるのも良いものである。
そうしていると、流れ星やUFOに遭遇する機会も増えるかもしれない。
ふわっと空を眺めていると、視野が広がって小さな変化にも素早く気づくことができるから、動く物体を見つけやすい。
とはいえ、やっぱりグレイトなコンジャンクション情報を事前に仕入れておけばよかった。この情報化社会においては情弱を開き直るのはカッコ悪い。兼好さんが現代にいたなら、何と書かれるか。うむむ。

そういえば、以前眼鏡を作った千葉県佐倉市にある某有名眼鏡店でこんなことを言われたのを思い出した。

「大体は見えているのに、ぎゅーっと見ようとするから眼球と繋がっている頭の筋肉が硬くなるんです。ふわっと全体を見るようにね、リラックスして目を緩ませるように心がければ良いんです」

2時間以上の検眼を経て、これまでよりも度数の低い眼鏡を処方してもらったのだが、そのせいかおかげか、夕暮れどきからは視力が落ちる気がして不自由だ。眼鏡店ではそれを「脳の思いこみ」と言われた。
「視力を上げるのではなく、視覚が広がる眼鏡を推奨しています。新しい眼鏡に変えると脳の使い方が変わります。仕事や人付き合いもこれまで通りとは行かなくなるかもしれませんね」と付け加えられた一言に興味を持ってしまった私は、好奇心をくすくすっとくすぐられ、経過観察しながら脱コンタクトに成功。
既に3年ほど経っただろうか。

というわけで、物事をふわっと見る生活に変化させてから、しばらく経つ。
水は方円に従うという言葉があるが、眼も同様にレンズに従っていくのを実感中である。同様に、考え方も変化しているように感じる。

頭の筋肉はどうなっているかはわからないが、なんでも面白がっていられるくらいの柔らかさはまだまだある模様。四季の移ろいや世のことを感じながら日記でもつらつらと書き連ねていけば、のちに振り返ったときに心に何か温かいものが生まれているはずだ。

今年はコロナの影響で海外には行けなかったけど、国内旅は秋にぎゅっと詰めて行った。なかでも、ずっと行きたいと思っていた島根県出雲市の鷺浦集落へ行けたのはよき思い出。