私と映画の出会いはここから。
中学生のとき、三國連太郎さんと、映画『螢川』の撮影で。

お久しぶりです。
このブログを始めた当初は、徒然とした旅話が多かったのですが、この頃はお知らせばかりになってしまいました。

タイ・バンコクの植物や祭り、町の様子などを綴った歳時記を書いて日本に送り、ライターとしてお金をいただくようになってからやがて四半世紀になろうとしています。

文章の基本のキも知らずに飛び込んだ世界でした。初めて書いたものを編集者に褒めてもらったときの嬉しさといったら、思わず飛び上がってしまうほど。しばらく浮かれポンチな様相でありました。なんたって、タイに行く前までは何も手に職のない、ただのお茶汲みOLだったのですから。

振り返ると、当時は兎にも角にも誰かにこれを伝えたい!という気持ちに溢れていたんでしょう。その頃はまだインターネットも一般家庭に普及していなかった時代だったので、旅先の情報といえば、広告かABロード。広くメディアで伝えられているタイのイメージと自身が体感しているタイの面白さが異なっていたのもあり、「ここにフォーカスすると女性から見たらもっと魅力的だし、面白く見える!」と発信したくてたまらなかったのです。たまらないなら、至らなくとも、しょうがない。

「これをそのまま残さなければ、流れていってしまう」という強い使命感は仕事にもつながり、注目されることもあればときには空回りもし、都度対峙する相手と膝をつきあわせながらパソコンに向かってきました。

まあ、そんな風にやってきながらもなんとかご飯を食べられるくらいになりました。とはいえ、ずっと同じようにやっていくのかといえば、変化のタイミングは向こうからやってくるのか自分が作っているのかわかりませんが、やってきます。

ここで、冒頭の三國連太郎さんと出会ったときの話を。
生まれて初めて大人の人たちと仕事をしたのが映画の撮影でした。
たくさんのスタッフが民族大移動のように一つの宿を長期間貸し切った撮影で、自分はそこに出入りをする子役の一人でした。大人に混じってひとりの人間として扱われるーそんな経験は、田舎の中学生には刺激的です。

本番でとちらないよう、渡された中岡京平さんの書いた脚本を何度も何度も読みました。おそらくそのときに小説よりも脚本で物語を読む方に頭がセットされたんじゃないでしょうか。シナリオを読むリズムを体が思い出したのは、一昨年、映画『騙し絵の牙』の撮影に参加をしたときです。

一昨年、三ヶ月現場に参加できる編集者を、ということで声がかかった映画『騙し絵の牙』。
この脚本も擦り切れるほど読みました。

するすると体の中に映像と同時に話しことばが入ってくる、そんな立体的な感覚が甦ってきたのです。
それまで、創作の文章は絵本や短編しか書いたことがなかったのですが、コロナ禍で動きを止めたことでやっと2時間ものの映画用シナリオを書きだすことが出来ました。

内容は、昭和から平成に変わる頃。
今、地方再生が叫ばれているなか、トラベルライターとしてあちこち訪ねているうちに、ついていけないくらいのスピードで街が変わっていってしまうの実感していました。
だから、あの頃の北陸の国道沿いの町ははこんな感じだったと創作で記しておきたかったのです。
今書かねば、きっと流れていってしまう。もしくは雪が上から降り積もり、踏み固められ、春がくるまでいろんな物事が隠れて無くなったことになってしまう。そんなのはいやだ!頭の中で動き出す登場人物を書き留めるべく、一気に筆を走らせました。

『月刊シナリオ5月号』に初めて書いた長編シナリオが掲載されています。
朝比奈千鶴は会社に勤めていた時代の
ライターネームで、
矢島あき(亜希)が本名になります。

選評を読み、審査員の方が秘めた思いを見抜いてくださっていたのには驚きました。プロの脚本家の洞察力を思い知らされた次第です。
そしてまた、今回も四半世紀ぶりに浮かれポンチになり、二日間ほど眠れない夜を過ごしたのでした。

いざ書こうとパソコンに向かうも、句読点をつけるまでの思いを自分から掘り出すのは難しいものです。書き始めるまでが長かった……!ましてや、説明をしないで心情を表すシナリオのルールは特殊です。

それでも、書くことの根本思想は、どの表現形態でも同じで、強く心に芽生えたものを育てていくと、ゴールまで走れるのだと。

さあ、これらがスタート。もっと険しい道のりになるぞー。
人生は、山あり谷あり。味わい深し。