百日紅が咲いている

近所に、梅雨が明けた頃からいっせいにピンクや白の花をつける街路樹がある。

今日のように強風の日はわっさわっさとこんもりとした花が揺れるものだけど、桜のように花びらを落とすことはないので長くその姿を楽しませてくれる。明るいピンク色が青空に映える、そのさまは南の島を思い出して心が弾む。

そういえばこの植物はなんだったっけなと木肌を見るとツルツルしている。そうだ、このツルツル具合はサルも登れぬ百日紅(サルスベリ)だと頭の回線が繋がり、やっと植物が知識と体感が合わさって脳内に取り込まれたことを認識する。

興味を持って自分から貪欲に捕まえに行かないと、せっかく覚えた知識もするりと自分の中を通り過ぎていく。特に星や花は何回同じものを見てもわからない。困る。どうやら、自分の場合は何か別のものとの関連づけをしないと記憶に残らないようだ。ハーブなど本当に興味のあるものに関しては幾つになっても貪欲に調べ、知識を吸収していくようだから脳は全く我儘で不思議なものである。

百日紅ー砧公園でその木の名前を覚えた。花も葉も落ちた冬の時期にその滑らかなツルツルの幹だけが際立っていて、散歩帰りによく触った。枯れ木には幹以外何もないから植物名を記した看板がよく目立つ。だから、名前を覚えたのだと思う。なるほど、猿も滑る木肌だなと繁々と眺めて触ったたのも体感として残っている。

四季を通して日課のように砧公園を歩いていたのに、百日紅に花をつけていた姿は全く覚えてない。毎年この時期に近所の”百日紅通り”を通ると祝福されたような気分になるのに、その頃はそうではなかった。植物からの祝福を感じる感性は閉じて(塞がって?)いたらしい。

脳内は別のことでいっぱいだったんだな、きっと。