成田を出てシアトルを経由し、アンカレッジに到着した。
現地は日本同様に「母の日」だったため
家族で過ごしている人が多いせいか
街中はひっそりとしていて
まるでゴーストタウンのようだった。

ホテル前では青空マーケットが開かれているが
閑散として、今にもクローズしてしまいそうだ。

夕食まで少し時間があったのでひやかすつもりで覗いていたら
こんなものが目に留まった。

JAPANESE FISH NET FLOATS
と書いてある。
そこには、固く紐に結ばれたものと
まっさらなガラス玉とが2種類並んでいる。

「君はどこから来たんだい?」
店のおじさんが聞いてきたので
「日本です」と答えると、
「おお、そうか、これはね、
日本からアラスカに流れ着いたものなんだよ」と
ガラス玉をひとつ取り出して見せてくれた。

これが何のためのものなのかわかるか、と質問され、
星野道夫氏の「旅をする木」の一篇に触れられていた
ガラスの浮き球のことを思い出した。
それは、地元民たちが ビーチコーミングで拾うものだった。

「船が着岸するときに岸壁にぶつからないようにするために使うものでしょ?」

そう返すと、おじさんは驚いた。

「君は知っているのかい?」

1950年頃に作られたガラスの浮き球。
その昔、ブイ代わりだけでなく、
魚網にも使われていたという。

現在はプラスチック製がほとんどで、
私がよくヨットに乗りに行っていた20代の頃は
既にガラスの浮き球なんてなかった。

太平洋側の海岸からゆらゆらと黒潮に乗り、
さらにはアラスカ海流を経て
北の地、コールドベイにたどり着いた浮き球。
漂着して数十年経ってから
浜辺でビーチコーミングをしている彼に拾われ、ここへ。

彼は、1980年頃からガラス玉を拾っては
週末のマーケットで売っているのだという。

「ほら、 このガラスを見てご覧。
ひとつひとつ手吹きで丁寧な仕事だろう?
こうやってぶつかり、こすれあいながらも
ここまで無事にたどり着けたのも
このガラス玉がいいものだからさ」。

おじさんはガラスを吹く真似をしながら
ガラス玉を私に見せた。
厚みのあるこっくりとした肌触り。
アラスカの強い陽射しが、鈍い光となって屈折し、
手に持った途端、目の前に日本の漁村が広がっていく。

伊豆や和歌山の漁師町を思い出し、
ぼんやりと手に持って回想していると、
彼は裏に刻まれた文字を私に見せてきた。

「これは日本語でしょ?」

……漢字でもひらがなでもカタカナでもない文字。
なんとも読めないと言うと
彼はがっかりした顔をした。

おそらく、長い年月をかけて摩耗してしまったのだろう。

彼曰く、文字は持ち主の屋号のようなものであるらしい。

日本から超特急で空を飛んでこの地にたどり着いた私と、
半世紀以上かけてアラスカにたどり着き、
縁あって手のひらの上に乗っているアンティークのガラス玉。
お互いにさまざまな場所を彷徨ってここで出会う。

擦れていっそう深い碧色を醸すガラス玉に
ゆらゆらと彷徨い続けるものの美しさを感じ、
思わず手に入れたくなってしまったが、
ふと、そこに価値を見出す人に拾われないと
それは、ただこの地に流れ着いただけの
漂流物でしかないことに気づき、
眺めるだけに留めておいた。