2011年3月11日 14時46分に東北地方太平洋沖で発生した大地震で
被害に遭われた皆さま、犠牲になられた方々に心からお見舞い、お悔やみ申し上げます。

東日本で起こった未曽有の災害。
国内観測史上最大のマグニチュード9.0を記録した揺れのとき、
私は遠くポルトガル・リスボンのホテルにおり、
ちょうど日本とスカイプで近況報告をしあっている最中でした。
いきなり家具が揺れる音が聞こえ始め
これはいつもの地震じゃないな、と思ったら
相手は家具を抑えるのに必死で話ができない状態になり、
大きくガタガタと鳴る音だけがPCから伝わり、不気味な予感が。
パソコンから聞こえる音だけでも今回の地震の規模は尋常なものではないと伝わってきました。

リスボン空港にて。ニュースを食い入るように眺める人たち。映像のなかの惨状に言葉もでず、立ちすくむだけ。

その後、トルコに移動するため、リスボン空港に向かったのですが
しょっちゅう外に出掛けている私のこと、
友人や親戚たちは海外にいるなんて知る由もなく
もしや、東北にいるのでは、藤沢は大丈夫か、など
携帯電話にメールや電話などの連絡が入り始め
空港までバスで移動していた私はすべてとることはできず、そのうちに留守電件数はオーバー。
気が動転していたのかトルコに入ってからスマートフォンのデータローミング機能のチェックを外し忘れ
ドコモの海外使用限度額を超えてしまい、メールをすべて開けない、留守電も聞けないまま
携帯は使用不可能になってしまいました。

こうなると、もうどうしようもありません。
自分の責任ですが、連絡手段の途絶える怖さを知りました。
もし、取材地で被災したら…
もし、家族や大切な人がどこかで助けを求めていたら…
さまざまな場面を想定しながらも
同時にふとした疑問が生まれました。

この相手にすぐに「安否を知らせる」必要があるのか、
もしくは自分が反対の立場だったらすぐに連絡するだろうか。

友人だったらなおさら、その関係性を考え
想像力を働かせることを考えてみたいと思います。
もちろん、心配してもらったのはとてもとてもありがたい。
何も言われなかったからといってすねる自分でもないし
むしろ声をかけてあげるのが美徳というような環境で育ってきたため
彼らの行動のもとになっているのが
「思いやり」であることを理解できます。
そういう私も阪神大震災のときに高校時代の友人に連絡をしていますし
今回も何人もの友人たちの姿が頭に浮かびました。
ただ、その量が多かったのと海外だったから連絡しなかっただけ。

ここで、ひとつ冷静になってみると
相手の安否が気になった場合
まず、一度自分の起こす行動が相手の状況にそぐうのかどうか考え、
下記のように想像力を働かせてみるのも必要かもしれないと思いました。

~その人の安否、いま確認すべきですか?~

・一番最初に自分が確認すべき関係性であるのかどうか。
 直接仕事で関わっている/ひとり暮らしである/先方の家族も被災している可能性がある
 /いつも連絡をとりあっている/先ほどあっていたばかり等
・心配しても助けに行けない距離であればすぐには連絡しない。
 適切なアドバイスを自分の経験から与えられるのであれば連絡するのもいいかも
・相手から連絡がなければあるまで何度も連絡するようなことはやめ、
 電源のこと、電波の状態などでできない事情があるのだと察する。
 連絡が戻ってこなかった場合、自分が安心したいためではないのか、それは本当の心配なのかと振り返ってみたりする
・ツィッターなどでまずは相手が何かメッセージを発していないか検索をかけてみる。
 そこで心配になる相手なら、こんなご時世だからこそふだんからつながっておくほうがいい。
・いろいろ落ち着いてから心配な人に「元気?」と声をかける。
 これはきっと誰だって嬉しい。万が一辛い状況なら聞いてあげると相手がラクになる。

この文章を私の友人たちが読んだら「せっかくかけたのになんたるやつ」とは
絶対に思わないと思うので今回の経験から学んだことを書きました。
こんな視点もあるよね、とふむふむ理解しながら
自分の考えで行動する人たちだと思うので。

私自身が心配になるといろいろと右往左往してしまうタイプなので
だからこそ、自分への戒めもこめて書きました。

一番怖いのは無関心でもあると思うので
ちょっと時間を置いて、落ち着いて話す余裕ができたかな、と思ったら
「今どうしている?」といって声をかけてあげるのが“やさしさ”なのかもしれない。

※ブログパーツにツィッターを表示させるようにしたら、
 なぜか本文にも反映されるようになってしまいました。
 ただいま改善を試みておりますが当分は見にくくて申し訳ありません。
 facebook、blog、twitterの上手な使い分け、連携方法を模索中です。