やや自粛の日々。

8月。自粛生活になって半年。
花粉症の季節から盛夏になり、暦の上では立秋を過ぎた。
季節のご挨拶も暑中見舞いから残暑見舞いになる変わり目だ。

昨日(7日)に新型コロナワクチンが年明けの1月から3月の供給に向けて体制を整えるというニュースが出ていたが、この頃のコロナ関連で発表されるニュースは希望的観測が多く、あまり期待してはいない。

先日、そろそろ本格的にwithウイルス(今後新種のウイルスで右往左往するのは今回の新型コロナだけではないだろうから)で生活をしなければと思い、情報交換もかねて友人たちと飲みに行ってみた。

7月末、東京都が飲食店の自粛営業要請をすることを決めた日に、都内の人気居酒屋に予約をして出かけたものの、かなり密だった。なので、すぐに出て2軒目は、窓が全開で隣との空間が空いているところに飛び込みで。
たまたま料理が美味しかったので良かったが、このとき、お店を選ぶときの基準が明確に変わってしまったのだということをはっきりと自覚してしまった。

こんな状況だからこそ、生身の人に会ってたわいものない話をすることが重要で、そのためにはなるだけ安全そうな「場」で集うことが最低条件となる。
これまでは、まずはおいしいことが店を選ぶ基準だったが、この状況下においては、コロナ対策がなされていて安心して過ごせる空間であることが店選びの第一のプライオリティーになってしまったのだ。

できれば、予約などせずに目視で安心できる空間が一番だと思うのだけど。

おいしいお酒とたわいのない話はまるで水絆創膏のように、ガサガサした心のひだを埋めてくれるように浸透してくれて、その夜は、弾んだ気持ちで帰宅することができた。
とはいえ、しばらくは喉が痛まないか、だるくないかと気になってしまったのだが。

旅行についてはどうだろう。

コロナ禍となって初めて泊まりで出かけたのは、県内のキャンプ場だった。

丹沢のせせらぎで癒された。音のヒーリング。

新型コロナに留意されているかといえば、受付以外の場所はいつも通りで、中には、酔っ払っている若者たちが敷地内の池の周りで叫びあったり、グループで来ている小学生たちが狭いトイレで押し合いへしあいになったりなど、今時期ひやりとする光景が見られた。けれども、森の中を吹き抜ける風を感じながら過ごすひとときに、呼吸が深くなって肩の力が抜けたことは確か。

パーソナルスペースが広い場所には喜んで出かけていきたい。
心身の健康のために、外に出かけていく(非日常、異日常に出合う)のは長引くコロナ禍であるからこそ必要なことのような気がしている。

もちろん、経済との両立を考えてそうして行った方がいい思っているのもある。

GO TO トラベルでお得に憧れの宿に出かけるのも悪くない。
宿はコロナ対策をしっかりしているところが多いのでそこまで心配はないだろうが、心配なのは、無自覚にあちこち立ち寄ってしまうこと。

よく目にするのは、旅行先や旅行前に複数人で夜の街に出かけ、飲み会で感染してそのまま友人たちと旅行に出かけて現地でグループ感染、クラスターといったケース。

こういうケースが続くと個人の行動を監視する風潮に繋がっていくので、できれば旅行前、旅行後は2週間くらいおとなしく過ごすといいかもしれない。
現実には各々の意識レベルが同じわけでもないので、そうも行かないのだろう。

旅の想像力が試される時代になってきたようだ。

できれば、今は、個人または家族単位の旅行で、訪問先の事情にも寄り添って静かに、楽しく。

スモーカーを持っていくと、ベーコンや薫製ししゃも、くんたまなど
飲兵衛のつまみばかりが出来上がる

Forbes Japanに今後の旅のトレンドについて書かれた記事があったのでリンクしておく。車や自転車などのロードトリップ、アウトドア……どれも自分の好きな旅行スタイルだ。
コロナ禍のトレンドは、意外と旅の深度を深めてくれそうなものばかり。
旅行者の人生を豊かにしてくれそうな旅行スタイルのような気がする。

そもそも、何のために旅行するのかといえば、自分の場合は歳を重ねるにつれ大脳皮質の面積を増やし続けていきたい(大脳にいっぱいシワをつくって楽しくなりたい)というのがある。
それはすなわち想像力を高めることにつながっている。
想像力のある人生はいろんな意味で豊かで、しかも想像力にはお金はかからない。想像力は、日常のさまざまな場面にユーモアを与え、楽しさを与えてくれる。
シリアスなことを抱えていても、その思い出が思い込みすぎないようにね、と自分の助けになってくれる時もある。他人に対して慮る心も、同様に。
コロナ禍の自粛期間、あまり気に病むことがなかったのは、想像力のお陰だと振り返る(振り返るにはまだ早いが)。

想像力を育むにはいろんな経験(という貯蓄)が必要で、そういう意味で旅行をきっかけに外に出かけること、非日常や異日常に飛び込んでいくことをやめてはいけないと思っている。それはお金をかければ、遠出をすればいいというものではなく、身近なことでも可能なことだ。例えば、植物を育てるということや物語を味わうということなど。

今まで触れたことのない本や映画、アートに出合うように、旅行をすることは、自分の暮らし(人生)や他人の暮らし(人生)に密接に繋がっている。
これまでこよなく愛してきたそれらに新しい何を加えながら、山を越え、谷を越えて人は成熟をしていく。
想像力をたくましくしていけばしていくほど、見たくない現実も見えてしまうけれど、どこに寄り添って生きていくかは自分の根っこに逐一問うしかない。

現代のスピード感で表面に見えているものだけに簡単に引っ張られないようにと旅は教えてくれる。人生の旅をする(自分の人生を生きる)人の物語は、他人がつくるのではなく自分自身がつくるものなのだとしみじみ思うこの頃なのであった。

桃がおいしい季節到来。写真は福島のあかつきと自家製ヨーグルト。
スプーンは食べるのではなく、桃の種をとるのに使う「ベジココスプーン」。
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