2022年の映画記録

年の瀬、今年をちょっと振り返る時間と
気持ちの余裕ができたので
今年観た映画を振り返ってみようと思う。
映画レビューサイトに鑑賞した映画メモを残しているが
見返すと12月16日現在まで157作品の映画を観ていた。
三分の一はスクリーンで、あとは録画、配信など自宅のテレビで。
年末まであと5、6作品は観られるかなと思いつつ。

ここ数年はだいたい年に160〜180作品くらい観ている。
これが多いのか少ないのかはわからない。
映画ライター、ジャーナリストならば倍以上観ているだろうし
映画制作を職業にする人ならばもっと観ているかもしれない。いや、忙しくて観ていないかも?
私は現在、駆け出しのシナリオライターなので
趣味以外にも勉強のために観ているのもある。
初見で気に入って何度も観るものもあるし、
映画以外にドラマも視聴するので
しっかり観るならこのくらいのペースがいいようだ。

映像作家や脚本家を追いかけて観る場合もあるけど、作品以前の文脈で観るのはなにか冒険心に欠く気がして、そのときに観たい映像やテーマを優先して観るようにしている。
例えば、しばらく海外に行っていないので
好きな土地を舞台に作られたものとか。
そういう意味では、インドを舞台にした『RRR』と『シティ・オブ・ジョイ』を
スクリーンで観られたのは嬉しかったな。

『シティ・オブ・ジョイ』はキネカ大森で観たのだけど、今年はあちこちでデジタルリマスター版上映が花盛りだった。
『都会のアリス』に始まり、『恋する惑星』、『七人の侍』などは絶対に大きなスクリーンで観た方がいいに決まってる。
ル・シネマの『覇王別姫』は、35ミリフィルムでの上映が日本最終と銘打っていたので、
予約をとるのも人気ライブ並みだった。
毎夜サイトをチェック、チャレンジしてやっと1席とった。

上映中、あちこちから中国語が聞こえ、
なんだか外国の映画館にいるようだった。
公開時には本国では上映禁止の作品だったらしい。
現在も簡単に観られるものではないのかもしれない。
この機会に、と観にきた中国人が多かったようだ。
若い世代がほとんどだった。
文化大革命、同性愛というキーワードや、
中国・香港・台湾合作が問題だとか
本国で観られない背景の憶測は色々あるようだが、定かではない。

ドキュメンタリーでは、『水俣曼荼羅』に度肝を抜かれた。
原一男監督の心血が注がれた一作。
一度取材で水俣に行ったことがあるが、
自分は本当に何も知らなかったんだなと
今更ながら羞恥心でいっぱいになり、海の底に沈んだような気持ちになった。
インタビュイーの皆さんの一言一言を思い返し、その言葉の重みを振り返った。
言葉を受け取ったら、その人の人生の一部を
聞いた人間も生きることになる。
その重さから逃げている自分が情けなくなったのだ。
まあ、そんな自分のことはさておき、作品は6時間12分と長尺ながらあっという間のエンタテインメント。深刻なテーマを明るく、人間愛に満ちた作品として昇華させた原監督にたくさんの拍手を送りたい。
まだまだ水俣は終わっていない。
時代が変わったと言っても、昭和から体制が同じまま、終わらないまま続いているようなことはままある。それに目を背けることに成功すると「時代は変わった」と言えるのかもしれない。

若手監督の作品もよく観たのだけど、
なかでも杉田協士監督の『春原さんのうた』は前評判が良く、自分でも期待をして観に行ったのだけどそのときは全くピンとこなかった。
けれども、数ヶ月経ってから、
いきなりスクリーンで観た風景と音が
脳内にありありと蘇ってくるものだから、なんだこりゃ!と驚いた。

ある日あるタイミングでふっと記憶の箱から出てきて、その都度何かを問いかけてくる言葉や本、景色などがある。
『春原さんのうた』には、
そのような魅力が内包されている。
問いかけは何だったのかと聞かれると
イメージの塊のようなものしか浮かばず
言語化ができないのだけど。

そのほか『ハケンアニメ』や『アイアムまきもと』『LOVE LIFE』『窓辺にて』など邦画豊作の1年だった。
中でもNo.1は12月に入ってから観た三宅唱監督の『ケイコ 目を澄ませて』だ。年末年始にまた観に行くと思う。登場人物の佇まいだけで、痛いほど心情が伝わってくる、そんな作品だった。

旧作は、黒澤明や岡本喜八、成瀬巳喜男の作品をよく観ていた。
練りに練られた脚本から生まれた名シーンの数々を写経のように書き写しながら、いい作品は何度観ても新しいのだと実感した。

そうやって、今年は満州を舞台にした2時間尺の映画脚本を執筆した。
脚本を通して近代史と向き合い、過ぎ去った歴史を体に取り込む努力をしたと思う。
とはいえ、これまでのやわい筋肉の上にちょっとついたくらいで、すぐに落ちそう。
まだ全然自分のものになっておらず、頭の中で回らせているだけだ。
間をおき、どうやったら面白く観てもらえるか考える。
春から満州に執着しているのは、何か予感のようなものから来ている。
トラベルライターとして企画を出していた時も、いつも得体の知れぬ予感のようなものに突き動かされていた。
雑誌やWEBでは速いスパンで企画を実現化できることが多かったが、今はかなり遅い速度で、しかも実現化は時の運。

まあ、今は次から次へとテーマを見つけて軽やかに渡り歩くというよりはじっくり何かを見つめている方が自分には合っているようなので腰を据えて取り組んでみよう。

来年観る映画の中には、自分の作品はない。
でも、再来年はあるようにと祈る。これは、祈ること以前に小さな積み重ねしかない。大人になってから下積みを始めた人間は、あまり先のことを考えずに芯の通った面白い企画を出し続けるしかない。

神様、仏様、新人シナリオライターに愛の手を!