2016年の秋、過ぎ行く。

今年もあっという間に12月になった。

1年の始まりに決めたことを、どのくらいできたかと振り返ってみると自分のことはなにも具体的になっていない。

けれども、日々を営んでいくなかで、思い描く未来の礎となるような本づくりに着手はできた。
家族や友人たちなどと大切だと思っていたことの価値を共有できた1年だった。

ただ、走り始めたマラソンは、明確なゴールがあるわけではない。

四季と同じで芽吹きの季節もあれば枯れていく季節もあり、ただ、ただ、時間の流れの中で育まれていくものをどうしたらよいものかとウェブに書き残してはデリートを押していく。
そろそろまとめなくてはと思いながら、少しずつ書き留める日々。

文章というのはとても自由なものだから、どんなことを書いてもいい。散文のほか、レポートを書くことが多い中、今年、一番気を配ったことは取材対象から適切な距離をおいて眺められるか、ということだった。個としての言葉を書くこと。これはSNSでも心がけてきた。話を伺う方も仕事で関わる方も、何かに属する人としてではなくなるだけ個人としての言葉を伺うように努めた。

伝わる言葉とは、血と肉の積み重ねがないと発せられないものだと実感せざるを得ない。他人を共感、納得させる言葉とは、その人が歩んできた路上からしか生まれてこないものだ。となると、今、自分の歩んでいる道は正しいのか、正しくないのか、己に向き合わざるを得ない。そういう意味では非常に痛い気持ちになる1年でもあった。

頭をぐるぐる使っていては疲れるので、休日は家族とともに自転車を走らせたり、海に出たりした。134号線を時速20キロに満たない速さでくるくるとペダルを漕ぐ。潮風が心に溜まった澱を洗い流してくれるようで、家に帰るころにはすっかりと頭がリセットされている。

夜には、お気に入りのワインや日本酒をいただく。家族ができて、休日をちゃんと休日として過ごすようになってからお酒がおいしく感じられ、つい飲み過ぎ。運動をしているのにも関わらず体が大きくなってきてしまった。

以前は毎朝江の島へウォーキングしてたのに、今ではまったくさぼり気味。ときたまに江の島に行くと参拝よりもヨットを見に行くことが多い。風を読み、微風さえも味方につけて前に進むヨットのあり方に見習うことが多く、ヨットを眺めているだけでなぜか希望に満ちた気持ちになる。

今の季節の湘南は、1年で一番人が少ない。海辺の街に、しばらく静かな時間が流れる。

1日の終わりに、夕陽を眺めに海まで歩く。今年もいい1年だった。来年もきっと今年と同じように過ごすのだろう。マイペースに、マラソンをしているかのように、終わりなき道を淡々と走っていこう。